neuertag’s blog

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ニーチェ哲学の音楽表現 ~マーラー、リヒャルト・シュトラウス~

今回は、哲学と音楽との接点について紹介する。19世紀末のドイツの哲学者ニーチェは20世紀の哲学・文学に大きな影響を及ぼした。哲学ではハイデガードゥルーズ、文学ではトーマス・マン、ヘッセ、カミュなどがそうだ。しかし、それに先駆けて同時代の音楽家にも多大な影響を及ぼしていた。オーストリアの作曲家グスタフ・マーラーとドイツの作曲家リヒャルト・シュトラウスである。

マーラーは、その交響曲3番の第4楽章のアルト独唱において、ニーチェの著作 "ツァラトゥストラかく語りき"(原題:Also sprach Zarathustra)第4部に現れる詩を歌詞として採用している。この詩は、"おお、人間よ!"という人類に対する呼びかけから始まり、ニーチェ哲学の根幹をなす永劫回帰の思想を、深い眠りから目覚めた"真夜中"が語り始めるという内容である。静かではあるが重厚で力強い響きを湛えたドイツ語で書かれたこの詩は、ドイツ語で歌ってこそ、その深みを味わうことができる。以下にドイツ語の詩を紹介する。

O Mensch! Gib acht!
Was spricht die tiefe Mitternacht?
»Ich schlief, ich schlief—,
Aus tiefem Traum bin ich erwacht:—
Die Welt ist tief,
Und tiefer als der Tag gedacht.
Tief ist ihr Weh—,
Lust—tiefer noch als Herzeleid:
Weh spricht: Vergeh!
Doch alle Lust will Ewigkeit—,
—will tiefe, tiefe Ewigkeit!«

 ※英訳は以下のWikipediaのページを参照されたい。
Zarathustra's roundelay - Wikipedia, the free encyclopedia

私は、高校生から大学生にかけてこの著作を読んだのだが、手塚富雄氏の日本語訳ではものたりず、大学の中央図書館でドイツ語の原著を探してきて音読した思い出がある。ちょうど、その頃、日本はバブル期の最中で第2次マーラーブームが起きていた。NHKのFM放送ではマーラー交響曲が紹介され、エリアフ・インバルジュゼッペ・シノーポリなど当時の新進気鋭の指揮者たちによる来日公演でもマーラーは演目としてよく取り上げられていた。

マーラー交響曲は長大で一曲が優に1時間を超える曲が大半である。そんな交響曲の中でも私にとって印象深いのが交響曲3番である。この第4楽章のオーケストラ伴奏付のアルト独唱で、先の詩がそのまま曲をつけて歌われているのだ。この部分はルキノ・ビスコンティ監督による映画"ベニスに死す"のラスト近くでも使われている。※ちなみに、この映画では同じくマーラー交響曲5番のアダージェットの引用が有名である。

ニーチェ自身、音楽への造詣も深くワグネリアンであったことは周知の事実である。19世紀末の不安と20世紀への予感を秘めたニーチェの詩は、同じく20世紀の先駆を走っていたマーラーにも共感を与え、あの神秘的かつ謎めいた雰囲気を湛えたアルト独唱を作曲せしめたのではなかろうか。私は聞き返すたびに永遠の時間がこの刹那に凝縮されたような濃密な感覚を覚える。文学の音楽による表現というよりは、文学と音楽が混然一体となったカオスから必然的に生まれてきたといっても過言ではない。それほど、ニーチェの詩に対するマーラーの曲が私にはしっくりくるのである。

マーラーによるニーチェの表現が感性あるいは魂に訴えかける表現である一方、リヒャルト・シュトラウスによるニーチェの解釈と表現は、知性に訴えかける表現であるといえる。彼の場合、ニーチェの引用というよりは、先の著作 "ツァラトゥストラかく語りき"を同名の交響詩に作り上げてしまった。文字通り文学から音楽への翻訳である。その印象的な冒頭部は、トランペットのC音からG音をへて1オクターブ上のC音へと上昇していく音階で始まる。これは、自然(C音)と人間(G音)との対立を表しているらしい。

この導入部がスタンリー・キューブリックの映画"2001年宇宙の旅"(1968年)の冒頭部とラストで使用されて以来、テレビなどでも頻繁に引用されている。映画を介してこの曲の知名度が上がったため、"ツァラトゥストラかく語りき"といえばニーチェの著作よりもこの曲を想起する人が多いかもしれない。実際、音楽の重厚かつ意味深な雰囲気と人類の進化をテーマとした映画のストーリーと相まって、映画と音楽をセットにしたニーチェ哲学の一つの表現として、高校生の頃の私は受け入れていた。

ニーチェ自身は芸術の捉え方として、知性に訴えるアポロ的な芸術(文学など)と感性に訴えるデュオニソス的な芸術(音楽、舞踏など)とに分類し、"魂のはらわた"に響く芸術として音楽をより根源的な芸術と考えていた。その意味でマーラーによる表現がニーチェの芸術観に寄り添っていると思える。しかし、リヒャルト・シュトラウスキューブリックのような天才による新たなタイプの創造にインスピレーションを与えていることも事実である。興味のある読者には、以下のyoutube動画などをお勧めする。